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  医療人類学 2014



7月28-19日 医療人類学実習(任意参加)



7月11日 むすんで・ひらいて

1.実習について(梅崎:10分)   配付資料   
*調査のポイント・安全確保の注意点

実施場所: 三崎半島周辺
宿泊場所: 東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所

2.フィールドワークについて(田所) スライド

3.まとめの問題



7月4日 さまざまな「正義」のありかた

1.事例を類型化する 

・前回の授業のまとめ。事例はどのように類型化され、概念化されたか。
・各自が世の中にある「正義論」を一つずつ勉強して、その成果を全員で共有する。

勉強の成果

ここまでの学習成果を生かしながら:
・サンデルの正義論を相対化しよう。
・ケースを解釈しよう



6月27日 概念を規定してケースを読み解く: 正義論(主担当: 梅崎)

配付資料

1.「正義」について

a.人類にとっての「正義」についての定義、「正義」を定義するために有用な事例をA4用紙に書いてみよう。あなた自身の「正義」にとらわれる必要はなく、人類全体の「正義」を整理するために、大きなコンテクストで考えよう。
b. 「正義」の事例を類型化してみよう。類型化された事例群に対応する定義は?
c. この段階で、「正義」の定義について結論をだしてみよう。

*この段階での結論を、「作業仮説としての正義」と呼ぶ。
**この講義では、A4用紙をもちいた整理法を「A4用紙法」と呼ぶ。



6月20日 課題の発表: リスク

【課題】皆さんはスタートアップ(一攫千金を狙う新興企業)のビジネスマンです。人がリスクを感じる所にはビジネスチャンスもあります。
そこで、人間がもつ認識リスクの構造的特徴を逆に利用し、巧みにリスクを生産してください。そして、そのリスクを煽り、「あるかもしれない」
状況をつくりだし、それに対処するための商品を開発して、その商品の販売戦略を練ってください。
1)どのようなリスクなのか
2)商品(ターゲットは誰か、価格、どのような効果があるのか)
3)その商品を買う人たちの行動をアクターベースモデルで解明してください。

【評価】発表を聞いている人がリスクの存在の恐れ、不安に打ちひしがれ、背筋が寒くなり、
落ち込み、思わず購入してしまう商品を開発した班が優秀

1班 あんしんペーパー
2班 ふわふわサドルカバー
3班 ORS成分のボトルウォーター

採点結果 1班36点、2班37点、3班36点


6月6日 概念を提示してケースを読み解く: リスク(risk) (主担当: 卯田)

配付資料
スライド

学習のポイント
    ・リスク?
    ・「科学リスク」と「認識リスク」
    ・リスクの解釈モデル

アクターベースモデル



5月30日 文化相対主義:発表
 

あなたが国連組織の責任あるポジションにいるとして、以下のような「事柄」が世界で行われることを禁止するか、是認するか。「事柄」に関する事実関係を調 べ、「自己の評価」と「他者の評価」を整理しなさい(1)。そのうえで、理由とともにあなたの判断を述べなさい(2)。あなたの判断は人類全体に影響する可能性があることに注意すること。(1)と(2)をそれぞれ1枚ずつのスライドにまとめ、5分程度で全体を説明できるようにしなさい。 「事柄」:たとえば、食人、抗生物質の使用、食物タブー、延命治療、胃ろう、戦争、代理母出産、出生前診断、うば捨て山、一夫多妻、精子バンク、酒、たばこ、サラリーマン、その他、自由に考えて良い。


A班 自殺幇助
B班 インターネット
C班 大麻

採点結果 A班31点 B班22点 C班33点


5月23日 
概念をつかってケースを読み解く:文化相対主義(主担当:田所)


ウォーミングアップエクササイズ

学習のポイント

文化相対主義(cultural relativism):価値は相対的であり。文化は優劣をつけて判断できない。文化相対主義は概念として不十分な点も含む。だが、この概念を批判的に使うことで理解できる現象があることもまた事実である。

この講義では、最初に私たちが「他者」の信念や振る舞い方をどのように評価するか考えてみる。次いで「自文化中心主義」と「文化相対主義」の二つの概念の基本的な考え方を説明する。次に、クラスで「文化相対主義」の考え方で捉えては不都合であるような現象があるかどうか考えてみよう。私たちは、「文化相対主義」の概念をどのように現実社会の理解に生かせるのか考えてみよう。


1.私たちは「他者」の信念や振る舞い方をどのように評価するのか?

「自民族中心主義」(ethnocentrism):自文化の観点から他者の文化を評価すること。他者の文化よりも、自分の文化がより美しいとか、合理的であるとか、完璧であるとする概念。

 「文化相対主義」(cultural relativism):ある文化は、別の文化の価値観からでなく、その文化のもつ歴史や価値観にしたがって総合的に分析されるべきであるとする概念。

 
3.あなたにとって、文化相対主義の考え方で理解するには不都合だと考えらえる現象はあるだろうか?

4.相対主義の欺瞞

<事例> 説明スライド

・傷をつけて身体の熱を冷ます(チャムス、ケニア):傷

・悲しみの首狩り(イロンゴット、フィリピン):首

FGM/女子割礼(スーダンなど):F

・悲しみの火傷(カルリ、ニューギニア):火

・異性の双子が生まれた場合の対処(テワーダ、ニューギニア):双

上記の5つの事例はいずれもあなたにとっては、他者の信念と実践である。それぞれをあなたは認めるは、認められないか、
評価しなさい。→ 授業の結果(黒板の写真)

文化相対主義は、「人権」「生存」などにかかわる信念と実践については、適用除外と判断される傾向がある。 

5.次回への課題

あなたが国連組織の責任あるポジションにいるとして、以下のような「事柄」が世界で行われることを禁止するか、是認するか。「事柄」に関する事実関係を調 べ、「自己の評価」と「他者の評価」を整理しなさい(1)。そのうえで、理由とともにあなたの判断を述べなさい(2)。あなたの判断は人類全体に影響する可能性があることに注意すること。(1)と(2)をそれぞれ1枚ずつのスライドにまとめ、5分程度で全体を説明できるようにしなさい。

 「事柄」:たとえば、食人、抗生物質の使用、食物タブー、延命治療、胃ろう、戦争、代理母出産、出生前診断、うば捨て山、一夫多妻、精子バンク、酒、たばこ、サラリーマン、その他、自由に考えて良い。

・授業をふまえて、何を調べるか、何を検討するかをグループごとに話し合う。
・よそのグループより優れたプレゼンテーションをする戦略を意識して。
・みんなで採点・集計。客観的な評価を知る。戦略の練り直し。

参考: 浜本氏による「文化相対主義」の説明




5月16日 発表: 
身体観は健康行動・医療行動にどのように影響しているか

A班  身体を洗う習慣
B班: 整形について
C班: 人工と自然

【講評】 A班は、「衛生観念」に焦点をあてて、その歴史的な変遷、いろいろな国における状況を俯瞰したうえで、身体観の変容についての考察をしました。
い まの日本では、風呂にはいって清潔にすることが社会の規範ともいうべき価値観をもっていますが、それが構築されてきたものだという気付きはおもしろいと思 います。B班は、「整形」に焦点をあて、日本と韓国を比較しながら身体観あるいは基層文化の影響を議論しました。花郎道、革命、刺青、自然観などと接合さ せながらの議論は奔放ではありますが、真実はそのなかにあるのかもしれないと思わせるものでした。C班は、人工と自然という二項対立的な思考が健康行動に 果たす役割について議論しました。原発事故の放射線と自然放射線、人工的に合成された食品添加物と「天然」食品添加物など、必ずしも合理的とはいえない判 断には、人工と自然があれば自然をよしとする東洋的な考え方が優先するという主張だったかと思います(文責:梅崎)。


【全員での採点結果(1~4点)】

A班: 34点  B班:22点 C班:32点




5月9日 五月祭の準備により休講




5月2日 概念をつかってケースを読み解く:信念・身体観 (主担当:梅崎)

配付資料

学習のポイント
Belief -何かのできごとに対処する際に参照されるような基本的な「考え方」。
Beliefはそれぞれの個人が他者とのかかわりのなかで身につけるものであり、 通常、自らがアイデンティティをもつ社会の他の構成員と共有されている。Beliefに優劣はない。正誤もない。「それぞれのPracticeの背後にあるBeliefは何か?」と考える。
同じ医療技術のPracticeが社会(文化)によって異なることを、Beliefの違いによって説明できないか。


次回への課題

テーマ:身体観は健康行動・医療行動にどのように影響しているか

・2人1組でグループをつくる。
・グループあたり10分で発表。
・授業をふまえて、何を調べるか、何を検討するかをグループごとに話し合う。
・よそのグループより優れたプレゼンテーションをする戦略を意識して。
・みんなで採点・集計。客観的な評価を知る。戦略の練り直し。

たとえば、以下のようなテーマ。
・日本では避妊の方法として経口避妊薬や身体変工は好まれないのはなぜ?
・ アメリカでは、患者に最大の効果が現れるようにするために一回あたりの服用量ができるだけ多い薬を開発する必要があるという考えが根強いが、日本では、あ る程度の治療効果があり副作用も最小限であるような一回あたりの服用量が一番少ない薬を開発する傾向にある。なぜだろう?
・日本本政府は、毎日30品目以上の食品摂取を推奨している。米国国立癌研究所は毎日5種
類の果物と野菜を摂取するように進めている。なぜ違うのか?
・日本ほど抗菌作用のある商品が多く利用されている国はない。なぜか?



4月25日 オリエンテーション

    配付資料
    スライド


1.担当教員 

梅崎昌裕(東京大学健康総合科学科准教授: umezaki<at>humeco.m.u-tokyo.ac.jp)
田所聖志(秋田大学国際資源学部准教授: tadokoro<at>gipc.akita-u.ac.jp)
卯田宗平(東京大学東洋文化研究所講師: uda<at>asnet.u-tokyo.ac.jp)


2.授業のすすめかた

Problem Based Learning (PBL)
与 えられた課題について、自分のわからないことを明らかにし、それを明らかにするために必要な勉強をおこなう。勉強の成果をグループで共有し、矛盾点を議論 し、理解を深める。 最終的には、与えられた課題についての広範な知識と、その課題を解決するための考え方を身につけることを目標にする。

学びのサイクル
1サイクルは2週間の講義で構成される。
● 1週目: 医療人類学の「概念」あるいは「方法」の講義 → ケース(映像、文章、写真など)の提示 → グループごとの学習と議論
● 2週目: 発表(10分)・議論(10分) → 採点(注) →まとめ  
(注)教員、学生ともに、発表・討論を評価(すばらしい=4点、よい=3点、ふつう=2点)。評価はそれぞれのグループに所属する個人に帰属させる。
最高得点を獲得した学生は、講義の最終回に「優秀学生賞」を授与する。

授 業で取り上げるケースの例: 健康、胃ろう、現代医学、血の穢れ、民間療法、瀉血療法、プラセボ、輸血、長生き、割礼、健康食品、狂気、食物タブー、医療 倫理、うばすて山、抗生物質、食人、延命、戦争、疫学、一夫多妻、一妻多夫、酒、嗜好品、サラリーマン、ハイヒール、マスク、臓器移植、統計学、売春、食 物タブー、捕鯨、外来魚問題、携帯電話、輸血、健康食品、制服、ジョギング、学歴社会、外科手術、占い、年長者への接し方、魔女狩りなど。

履修にあたっての心構え
学 びのサイクル①~③は、医療人類学の基本的な考え方を学ぶための教材を既に準備しています。学びのサイクル④と⑤については、履修生の発案により学ぶ内容 を決めることを歓迎します。これからの医療・健康に医療人類がどのように貢献していけるのか、一緒に考えたいと思います。

3.
スケジュール

4月25日 オリエンテーション(梅崎・卯田・田所)
5月2日  ① 信念・身体観(梅崎・卯田)
5月9日  ① 信念・身体観(梅崎・卯田)
5月16日 ② (五月祭による休講?可能なら実施)文化相対主義(田所・卯田・梅崎) 
5月23日 ② 文化相対主義(田所・卯田・梅崎) 
5月30日 ③ リスク論・Actor-based model(卯田・梅崎)
6月6日  ③ リスク論・Actor-based model (卯田・梅崎)
6月13日 (休講/SIHセミナー参加可能)
6月20日 ④ 今年度の新作(梅崎・田所・卯田)
6月27日  ④ 今年度の新作(梅崎・田所・卯田)
7月4日  ⑤ 今年度の新作(梅崎・田所・卯田)
7月11日 ⑤ 今年度の新作(梅崎・田所・卯田)(梅崎不在により他の曜日へ振り替え)
7月17-18日(暫定日程案) フィールド実習 三浦半島臨海試験場?? 










 医療人類学 2013


7月22日-23日 医療人類学実習: フィールドで「発見」しよう

場所: 東京大学秩父演習林周辺の集落
集合場所・時間: 秩父鉄道三峰口駅・7月22日11時(時間厳守)

    実習要領

【学生さんへの講評】 三峰口、落合、栃本の3つの地域で、いろいろなお話しを伺う
体験をさせていただきました。秩父演習林のある地域は、鉱山が閉鎖され、
林業が衰退したことにより、人口減少、過疎化、高齢化を経験しています。
皆さんの報告のなかには、閉校する中学校の話、空き家が多い話、
伝統芸能の話、地域の農産物の話、土産物屋の話など、これからの
日本の将来を考える上で重要なことがらがたくさん含まれていたように
思います。この経験によって、「予断なき観察」により「発見」することの
おもしろさに目覚めてくれると教員としては嬉しく思います。



7月19日  
概念を定義してケースを読み解く ⑦リーダーシップ論 (主担当: 梅崎)

世界にはさまざまなリーダーシップのありかたがみられます。この講義では、教員が演じる
中国農村部のリーダー、パプアニューギニア高地のリーダー、パプアニューギニア・テワーダの
リーダーに対して、班ごとにインタビューをおこない、それぞれの社会のリーダーシップの
ありかたを発見してみましょう。医療人類学のインタビューで重要なのは「予断なき姿勢」であり、
自分のコンテクストを相対化して、新しい発見をするプロセスを経験してみましょう。

    講義資料(1)  講義資料(2)


7月12日 
概念を定義してケースを読み解く ⑤説明モデル ⑥Actor-based method

説明モデル: 臨床に関わる人びとのもつ病気の発症と治療についての多様な考え方
(Explanatory Model)

Actor-based approach:行動の違いによって分類されたアクターに着目し、それぞれのアクタ
ーがどのような意思決定のもといかに行動したのか、そしてアクター同士で意思決定に違いが
生み出される背景を探る方法

同じ病気に対する説明がアクターによって異なる理由とその構造を、Actor-based
approach によって理解できないだろうか。

         講義資料(1) 講義資料(2)   クワシオコール



7月5日 
概念を定義してケースを読み解く ④リスク(主担当: 卯田)

    講義資料(1) 講義資料(2)

    発表
    A班: 酒は百薬の長モデル   21点
         B班: 抗がん剤治療モデル 24点
       C班:  宝くじモデル      24点



6月21日 「文化相対主義」という概念をつかってケースを読み解く

あなたが国連組織の責任あるポジションにいるとして、以下のような「事柄」が世界で行われ
ることを禁止するか、是認するか。「事柄」に関する事実関係を調 べ、「自己の評価」と「他
者の評価」を整理しなさい(1)。そのうえで、理由とともにあなたの判断を述べなさい(2)。
あなたの判断は人類全体に影響する可能性があることに注意すること。(1)と(2)をそれ
ぞれ1 枚ずつのスライドにまとめ、5 分程度で全体を説明できるようにしなさい。


  1班  女子割礼     34点
  2班  カニバリズム   20点
  3班  たばこ       23点
  4班  児童婚       33点



6月7日 概念を定義してケースを読み解く ③文化相対主義(主担当: 田所)

文化相対主義(cultural relativism):価値は相対的であり。文化は優劣をつけて判断できな
い。文化相対主義は概念として不十分な点も含む。だが、この概念を批判的に使うことで理解
できる現象があることもまた事実である。

この講義では、最初に私たちが「他者」の信念や振る舞い方をどのように評価するか考えて
みる。次いで「自文化中心主義」と「文化相対主義」の二つの概念の基本的な考え方を説明す
る。次に、クラスで「文化相対主義」の考え方で捉えては不都合であるような現象があるかど
うか考えてみよう。私たちは、「文化相対主義」の概念をどのように現実社会の理解に生かせ
るのか考えてみよう。

             講義資料(1) 講義資料(2) 練習問題



5月31日
  「身体観」という概念をつかってケースを読み解く

  1班 臓器移植にみる日本人の身体観
  2班 遺体の処理方法と身体観
  3班 日本人の医療に対する姿勢と身体観
  4班 風邪への民間療法からみる日本人の身体観

      1班 37ポイント  2班 42ポイント  3班 35ポイント  4班 47ポイント
     
【講 評】 1班は日本において臓器移植が少ないこと、生体移植が脳死移植よりも多いことなどを手がかりに、日本人の身体観について考察した結果を発表しまし た。考察の中であった、「臓器あげても天国にいけるわけではないし」という言葉は、実は本質を突いているのかもしれないと思わされました。2班は、世界各 地での遺体の処理方法を調べ、それぞれの方法がどのような身体観に裏打ちされているのかを考察しました。価値観、技術の変容にともない、身体観そのものが 変容し、また新しい身体観が生まれる可能性についての言及がありました。3班は、救急車を呼ぶことについての心理的障壁が少なくなってきたという現象にヒ ントを得て、医療者の位置づけ、病気の定義、身体観変化などとの関連を分析しました。医療者が技術者として認知されつつあるという指摘もありました。4班 は、日本人には中と外を区別するという身体観が存在するという仮説に照らしながら、風邪を治すための日本の民間療法をよみとく試みをしました。マスクをす ること、人にうつせば風邪は治るという俗説、うがいをすること、家屋の構造などに着目した検討によって、中と外を区別するという身体観で日本の民間療法を よみとく試みは成功したのではないでしょうか。このような発表で考えたことは、学生向けのエッセーや論文コンクールで発表するといい勉強になると思いま す。うまくいけば優秀作品に選ばれるかもしれませんし。(文責:梅崎)




5月24日  概念を定義してケースを読み解く ②身体観 (主担当: 田所)

         講義資料  補足資料  ワレップとクム

学習のポイント
身体観:人間の身体がどのようにしてつくられているかに関わる信念 (Cultural beliefs about the body)
同じ疾患に対する処置が国や文化によって異なることを、身体観の違いで説明できないか。


身 体観とは、人間の体がどのようにしてつくられているかにかかわる信念である。現代医学における身体観は、生殖、細胞、DNA、代謝などの医学用語で語られ るようなものである。一方、それぞれの文化では、現代医学のそれとは異なる身体観が共有されているのも事実である。そのような身体観はふだんの生活では意 識されないようなものであっても、異なる身体観をもつグループ間で、健康あるいは医療にかかわる行動を比較することによって、その存在が
明らかに なることもおおい。この講義では、最初に、「伝統的な」身体観が現代医学のそれにたいして優位性をもっているパプアニューギニアの社会を事例として、「身 体観」というものの存在を明らかにする。次に、「伝統的」な中医思想と現代医学が併存する中国を事例として、中医思想を背景とした健康行動と身体観を考察 する。そして、最後に、現代医学の「身体観」が優先する日本などの社会において、その「身体観」の実態を考察し、それが健康行動・医療行動にどのような影 響を及ぼしているかを議論する。


5月17日 五月祭により休講



5月10日  「信念」という概念をつかってケースを読み解く

        1班 36ポイント
        2班 40ポイント
        3班 43ポイント
        4班 33ポイント


【講 評】1班は、患者のbelief がわからないなかで胃ろうがおこなわれることに問題意識をもった発表でした。日本におけるエンディングノート、living will の現状を、アメリカ合衆国やオランダの状況と比較しながら紹介し、今後の高齢化社会で人々が幸せに死にゆくための仕組みづくりについての提案がありまし た。2班は、美容整形にかかわるbelief  と題して、整形、治療、ファッション、メンテナンスという人間の行為が、連続的に説明できることを明らかにしました。さらに今後の社会におけ るbeliefの変化をみすえながら、整形がどのように受け入れられていくかについての推論をおこないました。3班は、日本における胃ろう造設において患 者の尊厳を重視する背景が乏しいことを、実際のグレーゾーンビジネスの事例、欧米との比較によって明らかにしました。そのうえで、日本社会も患者の尊厳を 尊重した社会に向かうであろう事、そのために必要なことが議論されました。4班は、日本人の死に方、死なせ方が時代とともにどのように変化したかを知るた めの手がかりとして、映画のなかでの死にゆくシーンを紹介しました。今すぐに自分の親に胃ろうを造設するかどうかを決断しなければならないとして、あなた はどうするか、という問いかけへの回答を、さまざまな映像をみながら考えました。(文責:梅崎)


4月26日  概念を定義してケースを読み解く ①信念 (belief) (主担当: 梅崎)
        
        講義資料

学習のポイント
Belief -何かのできごとに対処する際に参照されるような基本的な「考え方」。
Beliefはそれぞれの個人が他者とのかかわりのなかで身につけるものであり、
通常、自らがアイデンティティをもつ社会の他の構成員と共有されている。
Beliefに優劣はない。正誤もない。
「それぞれのPracticeの背後にあるBeliefは何か?」と考える。
同じ医療技術のPracticeが国(文化)によって異なることを、Beliefの違いによって説明できないか。


医 療人類学では、信念(belief)という言葉を、ふだんの私たちの使いかたとは異なった意味で定義します。日常的な会話でつかう「信念」には、自分の信 じる道というようなニュアンスをふくみます。それぞれの個人は、その人なりの価値観をもっており、それを信念と呼ぶことが多いように思います。一方、医療 人類学でつかわれる場合には、実践(practice)の場面で参照されるような基本的な「考え方」を意味します。信念は、それぞれの個人が他者とのかか わりのなかで身につけるものであり、したがって、自らがアイデンティティをもつ社会の他の構成員と共有されています。

信 念は、現代医学の提供する新しい技術をどのように受け入れかというpracticeに大きく影響するものです。話を簡単にするために、二つの対照的な信念 を想定してみましょう。ひとつめは、「命は自分のもの」(A)、もうひとつは、「命は自分だけのものではない」(B)という 信念です。(A)の信念を共有する社会では、延命治療を受け入れるかどうかは個人が決めるべきことであり、延命治療を受け入れることで延命以外の回復の見 込めない個人への導入は限定的になると予想されます。一方、(B)の信念を共有する社会では、延命治療を受け入れるかどうかには、本人の家族をふくむ社会 のメンバーの意向が影響するために、「生きてさえいてくれれば」という希望をもつ家族の意向を反映して、必ずしも延命以外の回復の見込めない個人への延命 治療がひろくおこなわれることになるでしょう。

こ のような信念は、延命治療を提供する医療関係者の側にもあり、(B)の信念をもつ社会に生きる医師は、延命治療の適用にあたり患者の希望だけでなく家族な どの希望も考慮することでしょう。日本の医療現場では、他の国に比較して延命治療の件数がおおいのかすくないのか、その日本と他の国の違いは、信念を定義 することで理解可能となるのか、考えてみましょう。

2.対照的な信念の例

あ.命は私のものだ。命は私だけのものではない。
い.命は救えるものだ。命は救えるものではない。
う.親からもらった体に手を加えるべきではない。これは自分の体だ。
え.年齢や性別によって命の価値は違う。年齢や性別によって命の価値は変わらない。
お.他には?


3.<ビデオ教材> 「食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪~」

「胃ろう」にかかわるさまざまな”practices”を分析概念”belief”を使って読み解こう>


4.次回への課題
・3人1組で4グループ。
・「おもしろい」発表。みんなを唸らせて。
・授業をふまえて、何を調べるか、何を検討するかをグループごとに話し合う。
・よそのグループより優れたプレゼンテーションをする戦略を意識して。
・みんなで採点・集計。客観的な評価を知る。戦略の練り直し。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・ビデオ教材が作成されてから今日にかけての「胃ろう」をめぐる状況の変化?
・自分はいやだけど、家族にはお願いしたい?



4月19日 

医療人類学(2単位) 2013年度 オリエンテーション(2013/4/19)

担当教員 梅崎昌裕(umezaki<at>humeco.m.u-tokyo.ac.jp)
田所聖志(tadokorok<at>humeco.m.u-tokyo.ac.jp)
卯田宗平(uda<at>asnet.u-tokyo.ac.jp)


1.授業のすすめかた

Problem Based Learning (PBL)
与 えられた課題について、自分のわからないことを明らかにし、それを明らかにするために必要な勉強をおこなう。勉強の成果をグループで共有し、矛盾点を議論 し、理解を深める。 最終的には、与えられた課題についての広範な知識と、その課題を解決するための考え方を身につけることを目標にする。

学びのサイクル
1サイクルは2週間の講義で構成される。
● 1週目: 医療人類学の「概念」あるいは「方法」の講義 → ケース(映像、文章、写真など)の提示 → グループごとの学習と議論
● 2週目: 発表(10分)・議論(10分) → 採点(注) →まとめ  
(注)教員、学生ともに、発表・討論を評価(すばらしい=4点、よい=3点、ふつう=2点)。評価はそれぞれのグループに所属する個人に帰属させる。

授 業で取り上げるケースの例: 健康、胃ろう、現代医学、血の穢れ、民間療法、瀉血療法、プラセボ、輸血、長生き、割礼、健康食品、狂気、食物タブー、医療 倫理、うばすて山、抗生物質、食人、延命、戦争、疫学、一夫多妻、一妻多夫、酒、嗜好品、サラリーマン、ハイヒール、マスク、臓器移植、統計学、売春、食 物タブー、捕鯨、外来魚問題、携帯電話、輸血、健康食品、制服、ジョギング、学歴社会、外科手術、占い、年長者への接し方、魔女狩りなど。


2.スケジュール

第1部 概念を定義してケースを読み解く
サイクル-1: 信念 (belief)  主担当:梅崎 
サイクル-2: 身体観  主担当:田所 
サイクル-3: 文化相対主義 (cultural relativism)  主担当:田所
サイクル-4: リスク (risk)  主担当:卯田

第2部 医療人類学の方法
サイクル-5: 説明モデル  主担当:梅崎
サイクル-6: Actor-based approach   主担当:卯田
サイクル-7: リーダーシップ  主担当:梅崎

第3部 フィールドワーク実習(任意参加)
講義で学んだことを生かして、現場で何かおもしろいことを発見してみよう。東京大学日本・アジアに関する教育研究ネットワーク(ASNET)講義との合同。
2010年度:千葉県白浜
2011年度:千葉県勝山
2012年度: 千葉県鴨川・和田
2013年度:?
*6月14日は休講(国際保健学専攻のセミナー:参加希望者は相談のこと)


3.講義の趣旨説明:「医療」の人類学を学ぶ意義

「医療」と「人類学」
・南米ではORT(経口補液)による下痢症のコントロールが成功しない。
・PNGでは輸血がすみやかに受容された。
・イタリアの男には、青い色の睡眠薬は効かない。
・経血に触れると死んでしまう人々
・狂気とは何か、異常とは何か(女児割礼、ハイヒール、同性愛)
・あなたにとってあたりまえのもの、あたりまえの考え方は?

医学をめぐる現代社会の特異性
・産業革命によって死亡と出生のコントロールが可能になった。
・ パプアニューギニア農村部では「生」と「死」は、食べることができるかどうか、飲むことができるかどうかによって区分される。対照的に、臨床医学は食べる ことができなくても、飲めなくても、自立呼吸ができなくても、心臓が動かなくても人間を「生かす」ことができる。近代医学の優先する社会では、食べること ができるか、飲むことができるかによって人間の「生」と「死」を区分することは、社会文化的に受容されにくい。
・「死なないこと」を目標に発展してきた臨床医学は、人類の幸せを阻害する側面をもちうる。これから人類は、臨床医学とどのようにつきあえばよいのか。

文化体系としての医学
▲ 医学という文化体系においては、健康指標が定義される。たとえば、血圧、血糖値、体重などは個人レベルの健康指標であり、有病率、発症率、余命、死亡率な どは集団レベルの健康指標である。▲そのような健康指標によって、「健康かどうか」を判断することが可能であると定義される。▲しかしながら、「定義され た健康指標によって健康かどうかを判断する」ことは、人類の歴史においては普遍的なことではない。「病院に行くから病気になる」という冗談にも一理ある。 ▲そもそも、ほとんどの社会には、「健康」に相当する概念は存在しなかった。▲医学という文化体系は、ほとんどの人類社会に受容されてきたという意味にお いて、特殊な文化体系である。


4.「概念を定義してケースを読み解く」? (田所)

“Illness”, ”Sickness”, “Disease” という概念の有効性


5.フィールドワークでの「発見」の事例 (卯田)

●フィールドドワークとは?
 (人類学の)フィールドワークとは、他者について少しでも分かろうとする実践である。
菅原和孝著『フィールドワークへの挑戦』

 (人類学の)フィールドワークとは、最初は謎めいた外見とともに立ち現れる「現地の人びと」の「生のかたち」をいきいきとわかることを目指す。

●たとえば、千葉房総半島にて
海女漁の分類(香原1972)
セアブリ(10分×2セット)ハラアブリ(10分×2セット)
                    
●たとえば、中国福建省にて
カワウのペリット  
「子供の風邪薬や大人の胃腸薬として効果がある」
『本草綱目』
→現地に身を置き、観察をし、そこでの経験を書き留める
→私たちの当たり前≠彼らの当たり前
(西洋医学 > “伝統的”な民俗知識 でもない)
→その違いを優劣の差とは考えない



 医療人類学 2012


4月13日 オリエンテーション掲示
       配付資料1 


4月20日 分析概念 “Belief” の有用性

<分析概念 ”belief” の定義>
Belief  -何かのできごとに対処する際に参照されるような基本的な「考え方」。
Beliefはそれぞれの個人が他者とのかかわりのなかで身につけるものであり、
 通常、自らがアイデンティティをもつ社会の他の構成員と共有されている。
Beliefに優劣はない。正誤もない。


Practiceの背後にあるBeliefは何か?
同じ医療技術のPracticeが国(文化)によって異なることを、Beliefの違いによって説明できないか。

(例)
1.命は私のものだ。命は私だけのものではない。
2.命は救えるものだ。命は救えるものではない。
3.親からもらった体に手を加えるべきではない。これは自分の体だ。
4.年齢や性別によって命の価値は違う。年齢や性別によって命の価値は変わらない。
5.他には?

<ビデオ教材> ETV 特集 「食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪~」
<新聞記事など> 2012年4月18日朝日新聞など

<分析の切り口:「胃ろう」にかかわる「語り」を分析概念”belief”を使って読み解こう>
・「胃ろう」のpracticeの背後にあるbelief?
・「胃ろう」のpracticeが国によって異なるのは、beliefの違いなのか?
    e.g., 米国、ヨーロッパ諸国、東南アジア諸国、アフリカ諸国のpracticeは違う。
・「胃ろう」の推進派と慎重派、実はbeliefは同じ。個人的な経験・立場が違うだけ?
それとも、beliefそのものが違うのか?



4月27日 「胃ろう」にかかわるいろいろなことをbelief でよみとこう。

1班 <レジメ スライド>  2班<スライド>  3班<スライド

投票結果: 1班30点、2班 29点、3班 25点 


<補足>
皆さんの発表で明らかになったことは、belief とpracticeは、ずれるということです。
belief とpracticeが対応する単純なモデル、たとえば、「命は家族のものだ」==「胃ろうをする」では、
現実を理解するには不十分です。この背景のひとつは、belief が変容を常態としていること。
それぞれの社会において、「命は家族のものだ」→「命は個人のものだ」、
あるいはその逆への変容がすすんでいることでしょう。
その結果、belief には世代間差、地域差などがみられることになり、さらには個人のなかでも
コンテクストごとに異なるbelief が現れるということになります。
それが、例えば「胃ろう」をめぐる問題を複雑にしているのかもしれません。(文責: 梅崎)



5月11日 「身体観」からよみとく医療行動・健康行動

1.身体観とは

身 体観とは、人間の体がどのようにしてつくられているかにかかわる信念である。現代医学における身体観は、生殖、細胞、DNA、代謝などの医学用語で語られ るようなものである。一方、それぞれの文化では、現代医学のそれとは異なる身体観が共有されているのも事実である。そのような身体観はふだんの生活では意 識されないようなものであっても、異なる身体観をもつグループ間で、健康あるいは医療にかかわる行動を比較することによって、その存在が明らかになること もおおい。この講義では、最初に、「伝統的な」身体観が現代医学のそれにたいして優位性をもっているパプアニューギニアの社会を事例として、「身体観」 というものの存在を明らかにする。次に、現代医学の「身体観」が優先する日本などの社会において、その「身体観」の実態を考察し、それが健康行動・医療行 動にどのような影響を及ぼしているかを議論する。


2.ニューギニア島の社会における身体観(文責:田所)

 人間 の身体の成り立ちについての信念(=身体観)は、世界各地にさまざまなものがある。身体観のひとつとして、身体が体液から構成されており、その体液の状態 によって健康が左右されるとする考え方がある。こうした新体感は、さまざまな時代や地域にあったため、「体液論」とまとめて呼ばれている。たとえば、古代 ギリシア人は、血が重要な要素と考えた。また、近代ヨーロッパ人も、血の状態によって健康状態が変わると考えたため、病気になった時にヒルに血を吸わせて 身体から血液を意図的に出すという対処(=瀉血療法)を行った。現代医学も体液論に基づいて発展してきた。
 一方、ニューギニア島の人びとの身体 観も、体液論と呼ぶことができる。ニューギニア島には800以上の言語・文化集団(=以下、社会と表記する)があり、それぞれの社会で違いがある。また、 以下で依拠した情報は、1990年代までに報告されたものである。それらを前提としつつ、ニューギニア島の社会の身体観について概括的にまとめてみたい。 なお、ニューギニア島の社会では、男女のあいだで考え方が大きく異なる。以下は、男性が考えている身体観である。
 ニューギニア島の社会では、身 体を構成する要素(=身体構成要素)は、男女で質的に違うとされており、成長の論理と健康維持の方法は男女で異なっている。まず、そもそも、子供がどのよ うにつくられると考えられているのかを押さえておきたい。ニューギニア島の社会では一般に、男女ともに胎児の身体は、性交によって父親の精液と母親の性器 のなかにある血液が混じりあってつくられるとされる。しかし、生まれた後の胎児の成長過程は、男女で異なるのである。
 女性の場合は、一般に、身 体のなかにある血液と油によって健康が維持され、それらが少なくなると健康が損なわれるとされる。また、血液と油は、女性の成長の主要源でもあり、これら の体内での量が増えると身体が成長する。このうち、油は、肉や脂肪や脂質が多いとされる植物などを食べることで、身体のなかに取りいれられる。また血液 は、十分な食べ物をとれば、女性の身体のなかでつくりだされる。したがって、女性は、食べ物の摂取によって、血液と油を身体のなかに蓄えて健康を維持で き、身体の成熟による二次性徴もいわば自然と生じるとされる。また、血液が身体のなかに維持できないほどたまると、血液は性器を通して身体のそとにあふれ てしまう。それが生理なのだとされる。
 幼児期から思春期にかけて女性におこなわれる成長儀礼は、女性の成長を社会的に認知するためのものである。
  一方、男性の身体は、自然のままでは成長が難しいと考えられている。男性の成長促進と健康維持を支える論理は、2つの考え方に基づいている。ひとつは、成 長をうながし健康を維持する主要源は身体のなかにある精液であるという考え方である。もうひとつは、女性の血液の影響によって、男性の成長と健康は阻害さ れるという考え方である。体内の油も、男性の身体を維持するために必要であるとされるものの、油は成長を促す主要源とは見なされていない。これらと関連し たさまざまな信念と慣習には、3つの共通点がある。
 第一に、生まれた直後の男性の身体には、母親の性器内部の血液に由来する血液が充満してお り、その血液は男児の育成に不可欠な要素とされる一方、男児が男性としての身体を形成するうえではきわめて有害であるとされる点である。また、同様の有害 な血液は、母乳や母親から与えられた食べ物を通じても、男児の体内に取り込まれる。そのため、男児が順調に成長するためには、母親から伝達された血液を体 内から除去することが必要とされる。
 第二に、あらゆる女性の性器内部の血液は男性にとって有害であり、それとの接触によって男性の健康が損なわ れると考えられている点である。姉妹などとの食べ物の受け渡しといった日常的な交流や、妻との性交などを通じて、男性は日常的に、女性の性器に由来する血 液と直接的にも間接的にも接触する。それによって男性体内の血液は有害なものに変化するとされる。この変化した状態の血液を放置すると、男性の健康は損な われる。その危険を回避するため、男性には、女性との接触を制限する様々な禁忌が課せられている。
 第三に、男性の成長と健康を維持させる身体構 成要素である精液は、日常生活を送るなかで減少するので、成長と健康維持のために、日々失われる身体のなかの精液を意図的に増大させる措置が必要とされる 点である。男性は、日常的に生活していても精液が減っていくし、もちろん、性交によって体外に精液がだされることでも精液は減少する。精液が減ることで損 なわれる健康を維持・回復するために、身体のなかの精液を増やす必要があるのである。
 精液を増大させる方法は、パプアニューギニアのなかでも、 社会ごとに論理が異なっており、また、その分布に明確な傾向もない。大きく次の2種類に分ける類型論が出されている。ひとつは、(1)肉や脂肪などの食べ 物の摂取で体内の精液を増大できると考えるタイプの社会である。もうひとつは、(2)直接的な精液の摂取によって、それが可能とされるタイプの社会であ る。
 (1)のタイプの社会では、肉や脂肪などの食べ物は体内に摂取されると、精液となって体内に蓄えられる。このタイプの社会では、女性器由来 の血液が男性の身体に与える有害な作用を強調する傾向が強く、こうした血液を体外に除去することが、男性の成長と健康維持のためになによりも重要な行いで あり、男性の関心事となる。また、男性は、有害な血液を除去するために一定のサイクルで瀉血をおこなう。なお、血液の作用を重視することから、このタイプ の社会は、「血液複合」型と呼ばれることもある。
 一方、(2)のタイプの社会では、体内精液の充満による強壮さの維持と、精液の枯渇による精力 の衰弱への恐れが強調される傾向が強い。このタイプの社会では、食べ物の摂取は体内の精液の量を増やすには不十分であるとされ、精液を男性の体内に充満さ せる儀礼的な手段が発達している。その方法は、肛門性交や経口による体外からの直接的な精液摂取が含まれる儀礼によるものと、聖なる祭祀対象物を用いた象 徴的な手段が含まれた儀礼の二通りの方法が知られている。女性器由来の血液の有害な作用についての考え方もあるものの、このタイプの社会では、体内の精液 の充満と、その枯渇が男性の関心事となっている。このタイプの社会は、「精液複合」型と呼ばれることもある。
 以上のように、ニューギニア島の社会では、男女によって異なるものの、血液と精液という身体構成要素を軸として身体がつくられるという体液論の身体観が認められる。
  また、血液や精液とは、親族関係のなかで世代を超えて伝達される、集団内部で均質な性質を備えた物質ないし稀少財と捉えられている。同時に、血液や精液 は、それをもっていた特定の個人の性質とは結びつけて考えられていない。また、男性にとって危険とされる血液は、女性器に由来する血液に限られている。男 性は、有害な血液を取り除き、体内の精液の量を増やすことで、健康状態を向上させる。こうした身体観は、外部から持ち込まれた医療行為である輸血の受容と もなんらかの関わりがあると想定できるだろう。

■参考文献
林勲男 1995 「フィーとウダ・ラースあるいは骨と肉一ベダムニ族の社会構造と世界観」『国立民族学博物館研究報告』19(3): 359-403。
栗田博之 1989 「民俗生殖理論と家族・親族」清水昭俊(編)『家族の自然と文化』弘文堂、pp.93-118。
杉島敬志 1987 「精液の容器としての男性身体―精液をめぐるニューギニアの民俗知識」宮田登・松園万亀雄(編)「性と文化表象」『文化人類学』4: 84-107。
ストラサーン、A. & スチュワート、P. 2009 『医療人類学―基本と実践』成田弘成(監訳)、古今書院。

3.日本人の「身体観」?
 
卵 子が精子と受精することによって生命は誕生する。身体は、細胞によって構成されている。血液は末梢細胞の活用に必要な酸素や栄養素を運ぶ。食物は、エネル ギーと栄養素を含む。摂取エネルギーが消費エネルギーよりも過剰であれば、それは脂肪として貯蔵される。栄養素には、それぞれ生体における役割があり、欠 乏すると身体に不調をきたす。ここまでは現代医学を基盤とした身体観。他には?


4.学習の課題の整理

それぞれが、身体観に裏打ちされた健康 行動・不健康行動(瀉血療法、風邪をひいたら風呂に入らない、乾布摩擦、運動中は水を飲まない、割礼、正露丸、健康食品、。。。。。。。。)をひとつ選び勉強する。 次回、成果発表。


5月18日/25日 課題の発表


(1) 鼻血の正しい止め方 レジメ
(2) なぜ人々は「ツボ押し」をするのか: 東洋医学の身体観から
(3) 避妊方法から見える生殖観
(4) しゃっくりを止めるのに有効と考えられている方法 スライド
(5) 「栄養ドリンクは体に効く」という身体観について
(6) 最近のマスク事情
(7) 愉気からみる身体観


採点結果  (9名による採点<1,2,3>の平均点)
(1) 1.9, (2) 1.8, (3) 2.6, (4) 2.4, (5) 2.1, (6) 2.2, (7) 1.6

講評 

「自分の体がどのようになりたっているのか」、ということについての私たちの理解は、必ずしも
現代科学が前提とする生物のなりたちとは同じではありません。栄養学を勉強した人であれば、
私たちが食べたものは胃と小腸で消化されるために、ブタの脂身を食べたからといってそれが
そのままおなかの脂肪になるわけではないことは自明です。しかし、脂を食べれば脂肪がつき、
肉を食べれば筋肉になり、コラーゲンを食べればそれは肌に浸透するような「身体観」は
私たちの社会に根強くあると思います。このような身体観は、現代科学において正当とされている
医療行為を当該社会に導入する際の障害になることがあります。また、健康食品を売るための
宣伝に活用できるかもしれません。自主学習の目的は、自分たちの身体観を相対化して、
それがふだんの健康行動・不健康行動にどのように関係しているかを考えてみることでした。

皆さんの発表では、鼻血のとめかた、ツボ押し、避妊方法の選択、しゃっくりの止め方、栄養ドリンク、
マスク、愉気を題材として、私たちの行動がどのような身体観とかかわっているのかが自由に議論され、
おもしろくきくことができました。その自由さは、教員側が想定した「身体観」の枠組みを超え、
なんでもありという感じがなきにしもあらずですが、私たちの行動には現代科学に照らせば
不合理なものもあること、しかしそれは「身体観」に照らせば一定の合理性をもっていることを
確認できたという意味ではよかったのだと思います。

今後、健康にかかわるさまざまな「語り」をきくとき、その語りには現代科学を背景とするものと、
その個人の身体観を背景とするものが、混在していることを発見するでしょう。その発見を、
実践(研究でも、商売でも、医療行為でも)に生かしてくれればと思います。

最後に、採点結果について。おもしろいことに、どの発表にも3点の評価もあれば1点の評価もありました。
評価というのは、個人の主観的な考え方を参照しながらおこなわれるものなので、
同じ発表に対する評価が大きく割れるのはあたりまえです。それでも、世の中では
平均点だけが評価対象となることも多いので、人々の主観に働きかけるような発表を工夫するのも
実力のうちでしょう。採点結果については、自分の発表への客観評価としてありがたく
受け止めましょう。



6月1日 「説明モデル」という分析概念について


説明モデルの解説(文責:田所)

病いの原因に関する人びとの説明は、病についての語りの重要な側面を形作る。本節と次節では、人びとによる病いの説明のふたつの側面を見ていこう。

説 明モデル(EMs)の概念は、アーサー・クラインマンが台湾での研究に基づいて発展させたものである。台湾で、クラインマンは、さまざまに異なる医療に関 する信念と実践の体系の間にある、対立や矛盾に一貫性を見いだすことが難しいことを発見した。こうした医療に関する信念と実践の体系は、専門的な伝統的中 国医学から、世俗的な形態の民間医療や、民衆の「常識」までの全領域にわたっていた。

あるひとつの説明モデルは、臨床過程に関与するあら ゆる人びとが用いる、ひとつの病気の発症やその治療法についてのさまざまな考え方から構成される。説明モデルは、医者と病人の双方がもつものであり、それ は治療方法の選択を導き、また、病気の経験に意味づけをする。(そうした様々な)説明モデルは、病いの原因についてのもっと一般的な説明のなかに固定され ている。説明モデルは、特定の病気の発症に対する反応のなかでまとめられるものであり、その社会における病気についての一般的な考え方と同じものではな い。

とくに、説明モデルは、病いの5つの側面についての説明をもたらす。つまり、原因(はなにか)、いつどのように症状が最初に現れたのか、症状の性質(はなにか)、病気の経過、治療方法である。クラインマンは、EMsを3つの次元に区別した。

1. 一般人のEMsは、特異なものであり(人それぞれであり)、個性やその地域の文化に影響を受けている。そうしたEMsは、ただ部分的に意識されていて、た いていは漠然としていて変わりやすいものである。(一方)医療者のEMsは、医療理論と科学的論理に基づいている。だが、それらもまた、民衆文化の要素を 含んでいる。たとえば、Cecil Helman(1978)は、生物医学が進展する前のヨーロッパの医療の考え方が、イギリスの病人がよくある風邪のような病いを解釈するにあたって、支配 的でないだけでなく、医師の説明にも浸透していることを示した。

2.共有されたEMsと個人的なEMs。医師が特定の病気の発症を説明す るのに使う個人的な説明モデルは、その医師が同業者と共有する理論的な説明モデルから引き出したものであり、また、病人の個人的な説明モデルは、共同体一 般で共有されている病いについての民衆の説明を基礎としている。

3.個人的なEMsのさまざまな(改訂)版。医師も病人も、病気の発症の経過を通じて、ひとつだけの不変な説明モデルを持ち続けることはなく、たえず解釈を改訂していく。

クラインマンは、医療相談を、ある特定の病気をめぐって、一般人の説明モデルと医療者の説明モデルとが相互作用することだと描いた。

例)クワシオコールについての説明モデル
説 明モデルの考え方は、カメルーンで実施されたクワシオコールについての人類学的研究の例でも描き出せる。この例は、村のヘルスセンターに運び込まれた、大 きく丸くなって腫れたひどい状態の無反応な顔をしていて、手足が浮腫でひどく腫れているために肌がぴんと張って光っている子どもに関係がある。こうした子 どもの髪の毛は、赤褐色でさわってみると柔らかくてなめらかである。

EM1:
ヘルスセンターで働く村落ヘルスワーカーは、子どもを、栄養の偏った食事による過度の蛋白エネルギー栄養障害(PEM)であると診断した。ヘルスワーカーは、高蛋白・高炭水化物食を処方した。

EM2:
母 親は、子どもを、双子に続いて生まれたことによるngang(現地語でクワシオコールの訳語として使われる言葉)であると言った(双子は、カメルーンの一 部では特別な意味を持っており、それは西アフリカではよく見られる)。母親は、食事も影響を与えているかもしれないことにも同意した。

EM3:
そ の土地の占い師は、父親が相談すると、子どもは、以前に家族のなかで恥ずべきこと(インセストや聖なる動物を殺したことなど)が行われたことによって引き 起こされたbfaa(これも、クワシオコールの訳語としてときどき使われる)であると結論づけた。彼によれば、これは食べ物とは何の関係もなく、適切な儀 礼を行うことによってのみ快復されるという。

EM4:
近くにあるカトリックの病院の尼僧は、この症例について議論したときに騒然 とした。彼らは、土地の迷信がひどく信じ込まれていることに怒り、栄養障害についての生物医学論文による古い知識に基づいて、病いは、高炭水化物・低タン パク食によるものだと主張した。彼らは、適切な治療方法は、高蛋白食であると主張した。

EM5:
この研究が行われたとき、リバプール熱帯医学校の研究者たちは、クワシオコールは、欠乏食によるのではなく、食べ物のなかのアフラトキシンによるものであるという仮説を提示していた。研究者たちは、この症例は、その仮説を支持するものであると考えた。

■参照文献
Pool, Robert and Geissler, Wenzel 2005 "Interpreting and explaining sickness." in R. Pool and W. Geissler, Medical Anthropology (Understanding Public Health), New York: Open University Press, pp. 52-62.


6月8日 国際保健学専攻セミナー開催のため休講


6月15日 宿題の報告
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「医師と患者のやりとり」を題材に、医師の説明モデルと患者の説明モデルを対比させてみよう。
教材:アーサー・クラインマン『病の語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学』(誠信書房) pp.167-168, pp. 172-175.  

課題:要するに説明モデルは有効か?
『病の語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学』第7章を読んだ参加学生の感想(それぞれの感想の最後に文責をイニシャルで示してある)

<「慢 性の病をもつ患者のケアにおける相反する説明モデル」から考えたこと>: 国際保健等、文化的バックグラウンドが異なる場合、説明モデルはとても重要な考 え方だと思う。以前オーストラリアに住んでいたとき、突き指して小指の骨が欠けてうまく動かなくなってしまったことがあった。病院に行ったら「針金を入れ て矯正しないと将来パソコンを使えなくなるし、ピアノも弾けなくなる」と言われ強制的に手術することになり、しかも全身麻酔をしないと手術シーンを見て私 が失神すると脅され(?)、さらに針金は手の甲の皮膚から若干突き出た形にすると勝手に決められるという散々な目に遭ったことがあった。どうして小指の骨 が欠けただけで手術という発想になるのか、私の両親は全く納得できず、さらに私の両親が部分麻酔で十分だと主張しても認めてもらえず、結局その日のうちに 手術されることになって本当に困ったし怖かった。(全身麻酔後発覚したらしいのだが、針金を入れなくても治るくらいの軽い骨折だったらしく結局負傷した小 指に部分麻酔をしただけで手術は終わった。)文化の違いなのかただ単に言葉の壁が厚すぎたのかよく分からないが、とりあえず医者が自分の意見を聞いて理解 してくれてそれなりに自分の意見を尊重してくれているという感覚がないと患者は怖い思いをする、ということを身を以て知った瞬間であった。国の違いによる 文化的背景の違いがある場合には、医療者側が相当気をつけて患者の言うことと自分の考えを整理しないといけないと思う。その場合にはこのモデルは有用では ないかと思う。
 日本の病院でも説明モデルは活用できると思う。現在医師が患者を診察できる時間が短いことが問題になっているので、医師がいかに 効率よく患者の状態や考えていることを把握するかが重要になると思う。だから、外来の患者には待合室で待っていてもらう間に「説明モデルシート」のような ものを書かせて、患者自身としては自分の症状がいつからどのように始まってそれをどう捉えていて、何が原因だと考えているかを医師が見て瞬時に分かる工夫 をしていくべきではないかと思う。特に高齢者の場合は、同じ話を繰り返してしまいなかなか質問に答えてくれない方もいらっしゃるので、有効ではないかと思 う。 個人的には携帯電話ショップで説明モデルを活用した業務を行って欲しいと思う。(N)


EMsの特徴は医師・患 者・周囲の人の病いに関する考え方を対等に扱う点にある。これには、患者の病い真の問題が明らかになる、首尾一貫感覚が確保される、生物医学の限界を認識 できる等々の利点があるが、現状の医療の現場でこれを実践するのは労力・時間的に難しい。なぜか。保健・医療政策上は個別の事例における「正しさ」や最善 の治療よりも、人口学的な介入が優先されており、それに基づいた医療提供制度が構築されているからだ。この構造を維持したままでEMsを実践することは無 意味ではないが有効でもない。EMsはミクロな医療実践として提唱されているが、マクロな保健政策においても実践されなければならない。つまり、権威的な 国家機関(=医師)の考えと、一見「非合理」な人民(=患者)の考えを対等に扱い、ネゴシエーションする試みと同期する必要があるだろう。(Ma)


  説明モデルが有用性を持つか否かは、説明モデルをどう捉え、生かすかによるのではないかと考える。医師と患者との間で病気の原因、症状の捉え方が異なるの は当たり前のことであるから、説明モデルを用いて両者の志向を把握しておくのは有効な手段であるといえるのではないだろうか。
しかし、説明モデル によって両者の考えや違いを明らかにしても、それらの情報を踏まえて医師が患者の誤解を解く、患者を深く理解しようとする、医師と患者の信頼関係を強くす るなどの努力・工夫がなされないと説明モデルは全く無意味なものになってしまう。説明モデルの使い方を誤ると、両者の齟齬を暴くだけ暴いて何も生み出さな いという空しさしか残らないことになり、単なる結果論で終わってしまうことにもなる。説明モデルは前向きに活用する目的で存在するべきである。(I)


まず医療現場においてのEMの有用性について以下にのべる。
医 者は患者の病気(sickness)を治すことを期待されているのに、医者が自分のEMだけに固執すれば、そもそも疾病(disease)しか治す対象に ならないだろう。さらに患者のEMの中に疾病(disease)を解決するヒントがある場合、疾病(disease)すら治しきれないことになる。こうな ると医者にとってその患者は「よく分からない、面倒な患者」になってしまうだろう。患者からすれば、病い(illness)でない部分に対する治療は無駄 なことだと思うだろうし、医者が自分の病い(illness)を治そうとしなければいつまで経っても治った気がしない。つまり、医者にとっても患者にとっ ても気持ちのよい治療とは、病気≒病い≒疾病になっているときだと思われる。この状態は医者と患者の間でEMの交流、妥協的融合が計られている状態だ。こ のとき、医者も患者も信頼しあって、同じ方向を向いて患者自身(内側)と医者(外側)が患者の体を治療していることになるので、患者のコンプライアンスと プラセボ効果が高まり、実際に大きな治療効果を生んでいるだろう。だから医療現場で患者と医者が互いのEMの存在を認め、分かり合おうとすることには意味 がある。ただし、患者も医師の上手な説明を求めるだけでなく、病気の治療者の1人という意識をもって主体的に医師のEMを理解しようと努力する必要があ る。プリント部分では強調されていなかったが、本当にEMを機能させようとする場合、必要なことだと思う。
 自分の日常で応用するならば、たとえ ば塾の個別指導で生徒に教えるときなどが考えられる。私は生徒よりも問題の解き方のコツや勉強の方法や力を入れて勉強すべきことなどについて知っていて、 生徒に宿題を出して、最終的に生徒の成績をあげるべき立場、という関係性が医者に類似している。私は自分の経験から「この問題を解けるようになるには、ま ずはこれを理解して、次にこれを覚えて、そのあとに問題演習をする。」などの道筋を描いて指導にあたるが、一方的に説明するままだと「なぜ今こんなことを するのか」という疑念を抱いたまま生徒は勉強することになってしまう。やる気が出ていなければ頭に入っていかないので、こちらが大切だと思って課した宿題 を形だけやってきたとしても生徒のレベルはあがりづらい。だから私も宿題に対する生徒のEMに注目して、こちらの意図を理解しているのかということ以上 に、本人はどのような勉強が必要だと思っているのか、どういう勉強なら意味があると納得して取り組むことができるのか、探る必要がある。こちらが描いた勉 強の方法が全て正しいと思わず、本人にとって最もやる気が引き出され、かつ教師である私にも意味があるだろうと思える勉強の方法を2人でみつけていくとい う姿勢を貫くために、EMへの注目という手段があると思う。(Mi)


私は、説明モデルはある程度の有用性を持っていると考える。 説明モデルが有用な時は、医師が患者の病気に対する考えを知り、それが自分の見解とどのように違うかを整理して理解する時である。患者の持つ説明モデルを 知ることで、患者に病気のことを正しく理解させ、自分の進めたい治療に対する同意を得るための最適な説明方法を考えることができるかもしれない。しかし、 説明モデルによって患者と医者の間にある認識の違いを知ることができても、そのギャップを埋める段階ではほぼ無力なことがある。例えば病気の原因が霊的な ものだと考えている人にいくら現代医学の発病メカニズムを説いたところで、それは医者の説明モデルをそのまま患者に押し付けるだけにすぎない。また授業で 扱ったケースのように、現代の医療現場においては患者がどんな説明モデルを持っていようとも医者によってそれが無視され、結局医者の説明モデルに書き換え られてしまう場合が多いことも問題だと思う。(T)


説明モデルは有用であると考える。どこが痛む、どこがおかしい、などの症状か ら診断を下すことが容易でない病気も多々あり、それらの原因追及のヒントとして、患者の説明モデルを治療者が活用することができる。患者の説明モデルは非 医学的であったり、痛みのような感覚表現が曖昧であったりと、治療者からしてみればそのまま鵜呑みにするわけにはいかない内容かもしれないが、患者の視点 から症状を見つめることで、患者の「病気」だけでなく「病(やまい)」の治療すら可能にする可能性もあるだろう。患者にとっても、治療者がその診断、治療 行為に行き着いたプロセスを知ることで、より協力的な患者となるのではないだろうか。また、背景を含めて相手の文脈を理解しようとすることで、互いの共通 認識の元での「言語」を使用することができ、単純な言葉による勘違いを防ぎやすくもなるだろう。説明モデルは、医療現場以外でも、双方の持つ情報が異なる 背景を持っているような現場や、異文化の人と突っ込んだところまで話す時などにも有効なのではないだろうかと思った。(H)



6月15日 「リスク」の解釈と実践をめぐる非合理性について

1.確率に基づくリスク評価(梅崎)

A.さまざまな要因による寿命の短縮日数
        Cohen B and Lee IS (1979) A catalog of risks.  Health Physics 36: 707-722.

B.米国から日本へBSE感染牛がもちこまれるリスクは、輸出前検査および危険部位切除によって、どれほど変動するか?
       
中西準子「環境リスク学」日本評論社

2.エミックとエティック(田所)

A.人類学者が区別する二つの観点:エミックとエティック
B.エミックとしてのリスク
C.例:ウガンダにおけるコンドームの利用、日本のMSMにおけるコンドームの利用

3.リスクの文化モデル(卯田)

●「レバ刺し」モデル:安全性と食文化の対立モデル
*科学的にリスクが分かっており、そのリスクを回避する。
*リスク:生レバーから病原性大腸菌O157が検出されている。
*結果:厚労省の分科会は7月1日からレバ刺し販売禁止を決定。

↑:「感染する確率がゼロでない以上、全面禁止はやむをえない」
殺菌の手法が確立されていない。ゼロリスクを目指す。
実際にこの時期に食中毒が発生した。

↓:レバ刺しは食文化であり、消費者に選択を任せるべき。
国が規制する問題でない。自己責任。
リスクと付き合いながら食文化の多様性を維持していく。

●「動物塚」モデル:そもそも科学的なリスクがないのにリスク回避モデル
    *リスク:動物を殺してもなんら科学的なリスクはない。
     しかし、それぞれの文化には動物を殺した後のリスク(?)を回避する方法が異なる。
       ①動物を神の賜物として、罪悪感を消す。
       ②殺した動物の霊を弔う
       ③動物を殺すものを分離する。
       ④そもそも動物殺しに罪を感じない
    *現状:科学的価値観に立脚した研究者が実験動物の慰霊祭を開催
        動物の霊を弔うことは精神衛生上良いのかもしれない。


4.次週までの課題

私たちの健康行動/不健康行動には、確率に基づいたリスク評価だけでは説明できないものがたくさんあります。
そのような健康行動/不健康行動をひとつとりあげて、リスクの文化モデルを援用した説明を試みてください。
説明はA4用紙1枚にまとめ、1人あたり5分で報告すること。

課題の発表(6月22日)

Girls want to be beautiful!!! (N)  14ポイント
飲酒リスクの文化モデル (T)  20ポイント
健康行動の二次元モデル (Ma) 17ポイント
私は、蜘蛛神さまを、殺せない(Mi) 19ポイント
「脱毛」に対するリスク観とベネフィット観(I) 16ポイント
運動習慣とリスク(H) 12ポイント



6月29日 Actor-based approachで捉える人間の行動 (担当:卯田)

Actor-based approachとは、利害関係の違いによって分類されたアクターに着目し、
それぞれのアクターがどのような意思決定のもといかに行動したのか、
またアクター同士がどのような関係にあるのかを明らかにすることで、
例えば森林劣化が引き起こされた原因や収益性の高い農作物が農民に拒否される原因、
外来生物が駆除されない理由などを検討しようとする方法論である。
アクターは、個人や集団、企業、組合などが考えられるが、同じ個人でも複数のアクターに
所属している場合もあれば、多くの人びとが所属している組織がひとつのアクターとして
分類できる場合もある。  配付資料 + 琵琶湖の外来魚問題をめぐる分析事例



7月6日 健康行動/不健康行動をActor-based approach で読み解く
(ゲスト講師:
道信良子先生)



















 医療人類学 2011

4月22日 

1.授業のすすめかた

A. スケジュール

4月22日:オリエンテーション・問題整理①(胃ろうについて)
5月6日:映像教材
5月13日:発表・討論①(胃ろうについて)
5月20日:問題整理②(身体観と健康行動・医療行動の関係)
5月27日:発表・討論②((身体観と健康行動・医療行動の関係)
6月3日:問題整理③(自文化中心主義と文化相対主義)
6月10日:発表・討論③(自文化中心主義と文化相対主義)
6月17日:問題整理④
6月24日:発表・討論④
7月1日:まとめ

・4名1組に班分け(ランダム、課題ごと)
・班ごとに問題の設定と勉強・発表(10分)・討論(10分)
・教員、学生ともに、発表・討論を評価(1番よい=4点、2番目によい=3点、3番目によい=2点、4番目によい=1点)。評価はそれぞれの班に所属する個人に帰属。

B. 実習 7月中の2泊3日(または1泊2日)(外部講師の講義とフィールド調査体験)

C. 評価 授業への貢献・発表スコア


2.講義の趣旨説明(梅崎)

A. 「人類学」と「現代医学」

・南米ではORT(経口補液)による下痢症のコントロールが成功しない。
・PNGでは輸血がすみやかに受容された。
・イタリアの男には、青い色の睡眠薬は効かない。
・経血に触れると死んでしまう人々
・狂気は異常か
・2010年のコンテクストの普遍性への疑問
・長生きすること、死なないことを前提とする世界の普遍性

B.現代社会の医学的特徴

・産業革命によって死亡と出生のコントロールが可能になった。
・ パプアニューギニア農村部では「生」と「死」は、食べることができるかどうか、飲むことができるかどうかによって区分される。対照的に、臨床医学は食べる ことができなくても、飲めなくても、自立呼吸ができなくても、心臓が動かなくても人間を「生かす」ことができる。近代医学の優先する社会では、食べること ができるか、飲むことができるかによって人間の「生」と「死」を区分することは、社会文化的に受容されにくい。
・「死なないこと」を目標に発展してきた臨床医学は、人類の幸せを阻害する側面をもちうる。これから人類は、臨床医学とどのようにつきあえばよいのか。

C.文化体系としての医学

・医学という文化体系においては、健康指標が定義される。たとえば、血圧、血糖値、体重などは個人レベルの健康指標であり、有病率、発症率、余命、死亡率などは集団レベルの健康指標である。
・そのような健康指標によって、「健康かどうか」を判断することが可能であると定義される。
・しかしながら、「定義された健康指標によって健康かどうかを判断する」ことは、人類の歴史においては普遍的なことではない。「病院に行くから病気になる」という冗談にも一理ある。
・そもそも、ほとんどの社会には、「健康」に相当する概念は存在しなかった。
・医学という文化体系は、ほとんどの人類社会に受容されてきたという意味において、特殊な文化体系である。

3.Illness, Sickness, Disease (田所)

・概念を定義して、それを用いて規定してテキストを読み解くという方法

4.事例の紹介(卯田)

5.問題整理①:「胃ろう」について

<参考> Problem Based Learning (PBL)
与 えられた課題について、自分のわからないことを明らかにし、それを明らかにするために必要な勉強をおこなう。勉強の成果をグループで共有し、矛盾点をみつ けし、勉強課題を明らかにする。最終的には、与えられた課題についての広範な知識と、その課題を解決するための考えかたを身につけることを目標とする。


5月6日

ETV特集・選「食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪~」


5月13日

テーマ: 「胃ろう」にかかわる医療人類学的考察: 班ごとの発表

    1班 2班 3班 4班

医 療人類学では、信念(belief)という言葉を、ふだんの私たちの使いかたとは異なった意味で定義します。日常的な 会話でつかう「信念」には、自分の信じる道というようなニュアンスをふくみます。それぞれの個人は、その人なりの価値観をもっており、それを信念と呼ぶこ とが多いように思います。一方、医療人類学でつかわれる場合には、なにか出来事に対処する際に参照されるような基本的な「考え方」を意味します。信念は、 それぞれの個人が他者とのかかわりのなかで身につけるものであり、したがって、信念は通常、自らがアイデンティティをもつ社会の他の構成員と共有されてい ます。

信念は、現代医学の提供する新しい技術を受け入れるプロセスに大きく影響するものです。話を簡単にす るために、二つの対照的な信念を想定してみましょう。ひとつめは、「命は自分のもの」(A)、もうひとつは、「命は自分だけのものではない」(B)という 信念です。(A)の信念を共有する社会では、「胃ろう」を受け入れるかどうかは個人が決めるべきことであり、「胃ろう」をい受け入れることで延命以外の回 復の見込めない個人への導入は限定的になると予想されます。一方、(B)の信念を共有する社会では、「胃ろう」を受け入れるかどうかには、本 人の家族をふくむ社会のメンバーの意向が影響するために、「生きてさえいてくれれば」という希望をもつ家族の意向を反映して、必ずしも延命以外の回復の見 込めない個人への「胃ろう」がひろくおこなわれることになるでしょう。このような信念は、「胃ろう」を提供する側である医療関係者にも共有されているので あり、(B)の信念をもつ社会に生きる医師は、「胃ろう」の適用にあたり患者の希望だけでなく家族などの希望も考慮することでしょう。日本の医療現場で他 の国に比較して「胃ろう」の件数が突出して多い背景も、このように信念や規範を念頭において検討することで理解可能かもしれません。

社会 に存在する信念をまず検討して、その実際の医療行為への影響を検証するという視点は、医療人類学におけるひとつの基本的なアプローチです。皆さんの発 表では、「胃ろう」にかかわる信念が、国や地域によって異なること、あるいは時代によって変化することへの言及があり、それと「胃ろう」をめぐる実践とのかかわりについても指摘されていました。

採点の結果: 1班:47点、2班:58点、3班:33点、4班:41点 



5月20日

テーマ: 身体観と健康行動・医療行動の関係

身 体観とは、人間の体がどのようにしてつくられているかにかかわる信念である。現代医学における身体観は、生殖、細胞、DNA、代謝などの医学用語で語られ るようなものである。一方、それぞれの文化では、現代医学のそれとは異なる身体観が共有されているのも事実である。そのような身体観はふだんの生活では意 識されないようなものであっても、異なる身体観をもつグループ間で、健康あるいは医療にかかわる行動を比較することによって、その存在が明らかになること もおおい。この講義では、最初に、「伝統的な」身体観が現代医学のそれにたいして優位性をもっているパプアニューギニアの1社会を事例として、「身体観」 というものの存在を明らかにする。次に、現代医学の「身体観」が優先する日本などの社会において、その「身体観」の実態を考察し、それが健康行動・医療行 動にどのような影響を及ぼしているかを議論する。自習の課題として、(1)パプアニューギニア社会における身体観は、現代医学の受け入れプロセスにどのよ うな影響を与えたか、(2)ヨーロッパにおける瀉血療法を生み出した信念は、現代西洋医学のなりたちに反映されているか、(3)身体観に裏打ちされた健康 行動・不健康行動について(乾布摩擦?うさぎ跳び?運動中は水を飲まない?割礼?正露丸?健康食品?)の4つ((1)(2)(3)×2)を提示し、それぞ れについて問題点と学習のポイントの整理をおこなう。    


5月27日 

班ごとの発表: 1班 2班 3-1班 3-2班

採点の結果: 1班:34点、2班:47点、3-1班:53点、3-2班:40点


日の授業

 1.アホとバカの話(日本民俗学の小話)

 2.狂気は異常か?物事には二面の真実がある:自文化中心主義と文化相対主義

  ふだんの生活のなかで、私たちはいろいろな事柄に「違和感」を感じる。それは、自分のなかにある判断基準に照らすと、その事柄が「異常」と感じられるから である。一方で、その事柄が本来おこなわれているコンテクストでは、その事柄もそれなりの整合性をもっているものである。ここでは、前者を「自己の評 価」、後者の「他者の評価」と整理したい。おおまかにいえば、「自己の評価」は自文化中心主義(ethnocentrism)に通じ、「他者の評価」は文化相対主義(cultural relativism)に通じる。

 授業の課題:15分ほどのビデオをみて、その内容についての「自己の評価」と「他者の評価」をA4用紙にそれぞれ2つずつ書きなさい(大きな字で)。それをKJ法で整理してみよう。

次週の課題:  あなたが国連組織の責任あるポジションにいるとして、以下のような「事柄」が世界で行われることを禁止するか、是認するか。「事柄」に関する事実関係を調 べ、「自己の評価」と「他者の評価」を整理しなさい(1)。そのうえで、理由とともにあなたの判断を述べなさい(2)。あなたの判断は人類全体に影響する可能性があることに注意すること。(1)と(2)をそれぞれ1枚ずつのスライドにまとめ、5分程度で全体を説明できるようにしなさい。

 「事柄」:たとえば、女児割礼(FGM)、食人、抗生物質の使用、食物タブー、延命治療、胃ろう、戦争、代理母出産、出生前診断、うば捨て山、一夫多妻、精子バンク、酒、たばこ、サラリーマン、その他、自由に考えて良い。

 今後の予定:624日(金)は休講。大学院国際保健学専攻のセミナーが東大の山中寮でおこなわれるので、参加を希望する人は、梅崎へ連絡のこと(umezaki@humeco.m.u-tokyo.ac.jp)。まだ空きがあるかどうかきいてみます。



6月10日の授業

発表スライド: 死刑精子バンク姥捨て

6月17日の授業

発表スライド: 売春人工妊娠中絶ハイヒール

6月24日の授業: 休講

7月1日の授業:まとめ

発表スライド:たばこ

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11月19~20日 医療人類学実習 

場所: 千葉県安房郡鋸南町周辺
宿泊場所: 勝山寮(都立日比谷高校の校外活動合宿所)
参加者: 学生6名、教員3名

19日10:45に安房勝山駅前集合後、2人1組で、「発見」のための調査。
夕方17:30より「発見」の報告会。

【感想】
他者の考え方・生活・行動は、自己が想定するより多様なものである。
それを実感するには、意識的に自分の常識を相対化し、自己と他者との
相互交流のなかから、自己の常識を越えた場所にあるものを「発見」する
プロセスが必要だ。

この実習で、参加者に指示したことは、なんでもいいので、おもしろい「発見」を
してくること。夕方の「発見報告会」では、それこそ教員側の常識の外側にある
自由な発想による「発見」があり、大変おもしろくききました。
プロの研究者として新しい「発見」をする若者の台頭を予感しました。

【教員の発見】
教員3名も学生とおなじように調査しました。
・勝山は、漁港を中心とした構造の町。風呂屋が2軒と飲食店。
・勝山は東海汽船によるリゾート開発により昭和30年代には大変な賑わいだった。
・水族館、遊園地もあった。
・町のいたるところに、パーマ屋と喫茶店がある。昭和の店構え。リゾート時代の名残か。
・山手の水田跡には、井戸がたくさんある。井戸水による水利か。
・「勝山からす、保田とんび、佐久間のあんぽんたん」
・保田のスイセンは、もともとは農家の副業。いまでは観光資源。
・勝山の食用菜の花は、つぼみを出荷した後の花が観光資源になっている。
・醍醐家による鯨産業。

N先生「日本の町には、それぞれが繁栄した時の景観が残されており、
それがそれぞれの町の雰囲気となっている」。



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 医療人類学2010の記録 http://blog.livedoor.jp/medanthro_todai/