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 調査防備録


2014年3月  スンダ農村予備調査備忘録 

1.訪問地 Rancakalong, Sumedang, West Java
・スンダ人だけど indigenous な ritualをもっている。そのritualはイスラムの教えとは矛盾する部分もあるけど。
・Ms I:ランチャカロンの高校の先生(女性)で、高校の先生のトレーニングプログラムの一環として、パジャジャラン大で勉強したことがある。在来種の米のとritualの関係を研究した。この人にアテンドしてもらった。

2.経過
・ランチャカロンにはジャディナゴール(パジャジャランの第二キャンパスがある)を経由して向かう。途中、お面をかぶった小猿の猿回し。
・高校でIさんと合流。校長先生と懇談。

3.デサ ナガラワンギ(ナガラワンギ村)
・高校の手前にある村
・高校の少し先に、戦山羊場があった。闘山羊は大きくて強そう。
・ 高校の少し先の畑を見学。タルンと呼ばれるagroforestryでは、ロブスターコーヒー、ショウガ、チリ、バナナ、タロ<キサントソーマ>、カカ オ、アカシア、サトウヤシなどがみられた。タルンの横には、陸稲の畑。コロカシアなどが混植。タルンについてはおそらく研究の蓄積があるので、文献をさが す。

4.デサ ナンチャカロン(ナンチャカロン村)
・1つの農業者グループのリーダー:ESさんの情報。Bさんが通訳。
・ 儀礼小屋。現代的な建材での建設。柱の装飾は、彫刻ではなく、板を張り付けた簡易のもの。新しい。スマダン地方政府の指導により文化遺産、農業関連文化遺 産に登録されている。政府がツーリズム振興のために、儀礼のタイミングに口出しすることがある。儀礼の種類:グブシュロ、ハジャゴロン、ナラクサなど。ど ちらかというと観光目的か?
・儀礼に使うオーナメントに在来種の米籾。

5.デサ チブナ―ル(チブナール村)
・10以上の在来品種(お米)が栽培。モチ米も。以下の水田雑草を確認:チドメグサの仲間、ナンゴクデンジソの仲間、コナギ、セリの仲間。タニシはいる。ジャンボタニシはいない。舌状台地に水田、向こうの斜面にはオレンジ色のカワラの集落がみえて美しい。
・養魚、水田(米とそのたの作物のローテーション)、タルン(アグロフォレストリー)がスンダ農村の基本要素。

以上、3.4.5の村は、それぞれ近傍。

6.デサ ティランブ(ティランブ村)
・ランチャカロンからバンドンへ帰る途中。
・有名なサツマイモ品種の産地(と信じられている)
・Sさんの話(彼の親戚が昔ブディさんのお母さんの家の手伝いをしていた)
・いわゆるティランブと総称されるサツマイモ品種は以下の3つ:①Nirkum(ニルクム),②Eno(ノ),③Rancing(ランチン)
・① と②が植え付けから収穫まで4-5ヶ月、③は6-8ヶ月。③の生産量は①②よりもおおい。①②はサツマイモ1期のあとは必ず米、そしてサツマイモ。③はサ ツマイモを2期繰り返して米でもよい。よその人は③がティランブのイモだと思っているけど本当は①②。①②のほうがおいしい。
・①はソリヒンさんが生まれる前にアスクムさんがもってきた品種。だからニルクム。
・②はEnoが持ってきた品種。EnoはKampung Pangeseran よりやってきた。2-3年前に亡くなった。
・③は村の協同組合(?)が香港へ輸出している。
・生いも:R6000/kg、bakedイモ:R9000/kg(村で)、R15000/kg(バンドン)
・奥さんが10キロの焼き芋をバンドンに売りにいった。
・この村の土壌は水はけがよい。


2014年2月19日~22日  房総調査備忘録 


テーマ: 都市近郊農村漁村の人類生態学研究の予備調査:何を研究することがおもしろいか?

2月19日 10:00木更津金田―保田―鴨川―清澄演習林
メンバー:西谷、梅崎、大久保、小坂、濱松

<保田のショッピングセンター>
<演習林内での狩猟について>
・罠をつかった狩猟では、罠をしかける場所、罠にかかるように動物を誘導する工夫。
・開けた場所より、起伏のある場所のほうが獣道がわかりやすいから有利
・イノシシの牙はカミソリのようによく切れる。格闘する犬の毛がはらりと落ちる。
・紀州犬が強い。
・イノシシの両方の耳に一匹づつ犬がかみつき動きを封じた上で、イノシシの前足の後ろ側にかみつく。イノシシの動きがとまったら、人間がナイフでのど元の動脈を切る。
・イノシシは強いので、内蔵が飛び出した状態でも走る。
・イノシシは人間が弱いのを知っているので、犬を振り払って人間に向かってくる。
・イノシシが股の下をとおると、牙で足の付け根の動脈がやられて、人間は死ぬといわれている。
・イノシシや鹿は、血抜きしないと臭くて食えない。

<演習会陰主催の全学自由ゼミナールについて>
・演習林の皆様の献身的な対応。
・学生は楽しそう。
・現場での体験。

2月20日 鴨川―保田を結ぶ長狭街道のうち鴨川市内にある街道にある食料品店の悉皆調査

<悉皆調査>
0件目(平塚入り口):営業終了
1件目(金束):酒、食料品、たばこ、スリッパなど日用品。ホシイモを購入。かつては集落の宴会場。
2件目(金束):もともと酒屋?酒関連が豊富。ウイスキー山崎もある。ライムジュースまである。生鮮食品もある。郵便局。
3件目(釜佐橋):山崎パンの店。
4件目(吉尾の町):旅館(看板にウナギ料理)1軒、呉服屋2件?、信用金庫、郵便局、金物屋。食堂はたくさんある。かつては栄えた町だったか?:かつては房州と呼ばれ、この地域の商業の中心だった(島立さん談)。
5件目(八丁堰):道ばたでイノシシ肉とシカ肉を売る店。堰は昭和の最初にできた。
6件目:道の駅(みんなみの里)
7件目:セブンイレブン 販売されているできあいのおかずの種類が充実しているような。
8件目:オドヤ
9件目:鴨川駅前イオン。

・長狭小中一貫校、スクールバス
・字細野の熊野神社方面の棚田景観、なぜソテツを畔に植える?

<大山千枚田周辺>
・韓国料理屋:平塚入り口から富津館山線をすこし下ったところに。なぜ?観光客向け?
・バンダナ系カフェ・別荘:棚田景観は大山千枚田に限らず。バンダナ系カフェ・別荘が点在。
・景観:棚田は天水田はないにしろ、畔が大きい。耕作の身体活動負荷は大きいか?
・NPO:都市近郊農村においては無視できない存在。リタイアした段階の世代。
・老人ホームをはじめとする福祉施設がおおい。

2月21日 鴨川―和田―館山
<鴨川でみつけたおしゃべりの場所>
・10:00-15:00。お茶代100円/日、昼ご飯150円。
・今日のメニューは焼きそば。屋台をやっていた人がつくる。
・洋服屋さんのご主人が場所を提供
・外から移住してきた方がコーディネータ
・近所の老人たちがおしゃべりをする場所の提供
・ここに通うようになって、3名ほど鬱病が治った。
・老人はやることがないのが一番辛い。
・このような活動には、内から外から横やりが入るものである。
・2年続いている。館山は閉鎖。

<鴨川駅南側の旧市街>
・閉店している店がおおい。
・駅の北側と対照的。

<館山のイオン>
・巨大。おそらく地元の店がいくつか出店。店と店のひさしがアーケードのようにつながっているので、雨の日も安心。電器屋、書店、フードコートなど何でもある。

<館山の駅前商店街>
・寂れている。
・歩道がないので歩きにくい。
・空き地に駐車場があるけど、どこかのお店の専用駐車場なので、たぶんつかいにくい。
・瀬戸物やのご主人、「イオンができたというだけの問題ではないと思いますけどね」

2月22日 館山―木更津
<市宿のおばあちゃんの畑(千葉中央博フィールドミュージアム)>
・薪割りにきた東京の男性。
・かつて、土地の登記所などもあった集落。間口4間の区割り。
・お城の手前にある定宿町。かつてはローテーションで宿泊者を世話。
・コンビニエンス千兵衛は、プロパンガスの収益でなんとかやっていたけど、それも限界で閉店。
・いまは生協の宅配と、生協の移動販売が週に1回ずつ。
・採土場が集落のすぐそばにある。「ああダンプ街道」の舞台。

<木更津駅周辺>
・空き地や駐車場に面して、アーケードだけが残っているところがある。
・木更津駅前交番:歓楽街はたいしてない。

<木更津ニュータウン>
<木更津アウトレットモール> 大きい 景観の激変
<木更津アウトレットモール周辺の漁村> 豊かにみえる


まとめ:
・包括的な視点からの民族誌をかくつもりで調査を継続し、そのうえで健康にかかわる研究を企画しよう。そうでないと、研究は上滑りする。
・小地域(字/大字/500mメッシュ/電話帳情報/市区町村)の統計を収集し、GISデータベースとして管理。個別調査を大きなコンテクストから評価するために有効。
・現代のコンテクストからのまたぎ調査はおもしろそう。




岩手県・軽米/安家調査 
2008年9月25~28日


9月25日(木)
南八戸市南郷区島守盆地
9月26日(金)
軽米町周辺・雑穀畑
9月27日(土)
安家の国有林内放牧地。
北上山地の林間放牧により形成された文化景観の調査
9月28日  
川井村で養蜂業の調査 
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9月25日(木)
南郷区の島守支所の隣にある南郷歴史民俗資料館を訪問。粟畑、そば畑、世増ダム、ダムに水没した世帯の子どもが通っていた増田小中学校跡地を使った体験セ ンター(山の楽校)を見学。アマランサスは、平成5年頃、背の小さい品種を導入して栽培が始まった。粟は、オオエノコログサ(写真)を栽培種として改良し たもの。ダムに水没することが予定されていた世帯は家を改築しないので、かやぶき屋根の家がたくさん残っていた。
9月26日(金)
根城の近くにある「イノシシけがし」の碑。江戸時代にイノシシは焼畑を荒らす害獣であり、そのためにたくさんの人が食糧不足で死んだことを受けてつくられ た碑。碑をなかなか見つけることができず、山の上の稲荷神社まで歩き回った。狐は神の使いなので、稲荷神社にはその狐が神の世界に向かうための入り口を模 した穴が開いている。
 その後、軽米町へ向かう。軽米付近では、雑穀(粟、ひえ、そば)が商品作物として売り出されている。午後は、炭焼き小屋をみた。炭焼きは、3つも窯のあ る大規模なもので、窯のなかに入れてもらった。ひとつの窯で6キロの炭×150-160袋を一度に焼くことができる。ひとつの袋がおよそ 1000円なので、1窯で15万ほどの収入。昔は、山で炭焼きをして、それを担いで里に下ろしていたけど、いまは材料を山から動力でおろして道路際で炭焼 きをする。材料は、一山の材木を売ってくれる人を探して買う。
9月27日(土)
安家地区の見学。山の放牧地に放していた牛を9月末に集落におろす作業準備を見学。安家森という場所。気温が下がり、みぞれがふる。夏の服にフリース1枚 の私は、寒さで口もきけないほどだった。牛の放牧には、親牛1頭あたる一町歩(およそ1ヘクタール)の草原が必要。安家森は11町歩で、そこに15頭の子 牛を放している。子牛を10万円で育てて、2歳になったら20万円で売る。安家のおじさんは、14キロのマイタケをとったことがあるそうだ。そろばんの玉 をつくる「オノオレカンバ」という固くて重い木は薪にすると火力が強く、ストーブが駄目になることもあるという。安家アカネ大根という赤い大根は、現在の 白い大根が日本列島に入る前に既にあった大根の可能性もある。
9月28日(日)
岩泉から海岸にぬけて、さらに宮古へ。そこから内陸の川井村へ。北上山地民俗資料館を見学。民具の展示が充実していた。
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<感想>
 岩手県のなかでも山間部にある集落を訪ねた。道路は整備されており、山間部でもほとんどの場所はもはや近代化した地域である。ただ安家の一部村落では、 みなさん暖房には薪をつかっているらしく、近代化以前という印象をうけた。収穫したヒエを束ねて畑に置いておく「ヒエ島」などあたかも伝統的な民俗技術が あるようにもみえるけど、その実、ヒエは農村振興を目的とした雑穀栽培プロジェクトから配布された種子を用いたもの、あるいは業者の依頼で栽培しているも のである。日本の農村部における人の自然利用は、国家の補助金政策などに大きな影響を受けている。その変容を人々はどのように理解しているかという側面に 踏み込んだ考察が重要だ。農村振興プロジェクトにかかわる考え方には、(1)農村は自ら変わる力がある、(2)上からの指導がないと変わることができない の2通りあり、現在論争となっていることを、調査に参加した他のメンバーから学びました。